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高橋靖子

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2010.10.12

ベルリンの壁  

私の定かでない記憶によれば、私は1987年、89年、90年とベルリンを訪れている。
それぞれ、CMの撮影で、なぜあの時期にたて続けに行ったのかは、
偶然だったと思う。
私の人生には、こういう偶然がたくさんあって、私は常にその偶然に感謝している。
ベルリンの壁は、87年以前にも70年代に見ている。
何故こんなものがあるんだろう、という単純な問いに、ベルリンに住む方が
これはどうしようもないもので、ずっと存在するのだ、と言っていた。

Berlin1.jpg


ところが、壁は壊されたのだ。
その数日前まで、危険を犯して壁を越えたり、そのために
撃たれたりしていたのに、多くの人によってその長い壁が壊された。
越えられないと思っていたものが超えられたり、壊れないと思っていたものが壊れる時が来たのだ。
時が満ちたその瞬間を、確か、あのブランデンブルグ門の上に人々が
溢れているのをテレビで観たと思う。

Berlin2.jpg


そういうニュースから一か月もたたないうちに、私はベルリンにいた。
あるロックスターが世界ツアーの途中で、どうしてもベルリンでしか
撮影の時間が取れないと言ってきたのだ。
ベルリンの撮影所にきわめて日本的なセットを組んで撮影するのも珍しかったが、
その合間に街に繰り出すのも面白い経験だった。

旧東ドイツとの境目には、「チェックポイント・チャーリー」という
関所のようなところがあった。
最初のうちはパスポートの提示が求められたが、一週間ぐらい経つと、
ほとんどそういうセレモニーなしで行き来出来るようになった。

このロケのディレクターだった市川準さんは、常にベルリン映画祭の関係者や
映画好きの若者たちの尊敬のまなざしに囲まれていた。
「一緒に東のライブハウスに行こう」と誘われて、ついて行ったり、
映画関係者との食事の末席に加わらせていただいたりした。

Berlin3.jpg


次の年の春に、またベルリンでロケがあった。
ベルリンの壁の破片が商品化されたりしていた。
旧東ドイツだった頃にオリンピックでその力を誇っていたのスポーツ選手を
モデルに撮影をした。でも彼らにも陰りが見えていた。
旧東ドイツ時代のように、国家的な威嚇のために、
集中的に訓練されることがなくなったから。
私たちはポーランドまで足を延ばし、ある炭鉱町でさらに撮影をした。
若者たちの中で兵役を避けたいものはここで数年間炭鉱夫として働くのだ。
結果的には、ドイツのスポーツ選手でもなく、私が持参した衣装も使わず、
石炭で全身が黒くくすぶった若者たちを、そのまま撮るのがメインになった。
90年代の初めまでは、クリエイターが、この地球上のある場所で感じたり
感動したりすることがそのまま、CMの映像となることもあったのか。
いや、これは例外だったかもしれないが。

私は特別政治的なことに関心があるわけではない。
でも、スタイリストをしているおかげで、こうして時代の大きな出来事に
ぶつかることもある。
そして、ちょっとあとになると、「実感」というかけがえのない贈り物を
もらったのだ、ということに気づく。
今回も「ベルリンの壁崩壊20周年」というニュースを観て、
忘れていたカタチのない贈り物を思いだした次第だ。

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2010.10.12  |  FASHION

PROFILE

高橋靖子

日本のスタイリストの草分け的存在。現在も、広告、CMなど第一線で活躍中。71年、ロンドンで山本寛斎氏とファッションショーを成功させ、その後、「ジギー・スターダスト」期のデヴィッド・ボウイの衣装を担当。鋤田正義氏によるデヴィッド・ボウイやT・レックスの撮影をアレンジしたことでも知られる。著書に『表参道のヤッコさん』『小さな食卓 おひとりさまのおいしい毎日』『わたしに拍手!』などがある。

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