2010.03.18
「ドイツ人舞台女優 北島パヤ~自己を捨てる」 
Ich sehe, was du nicht sehen kannst.
君には見えないけど僕に見えてるモノってな~んだ?
これは、ドイツの子供がよくやるモノ当てクイズ。
「つけま(つ毛)?」
「ウィッグ?」
「眉毛つぶし?」
「60年代のシルバーのラメ入りブーツ?」
「あ、わかった!ディバインのブロマイドでしょ?」
な~んていうふうに視界にあるモノをいい当てていく単純なゲームよ。
つよこセンセ~
どうでもいいけどそれって全部センセの鏡台の前にあるドラッグ用品じゃないの・・・
な~んて、マチコのウィスパーボイスは無視無視。
つよこバッグからこんにちは~♥わたしマチコよ♥うふ
今日はわたし出番が少ないの。
「舞台上で行われることは心の鏡なのよ」
ある日、わたしくの友人のドイツ人舞台女優 北島パヤが、ブツブツとひとり言を
つぶやいていたわ。
『パヤ』というのは根っからの成りきり舞台人の彼女にわたしくが進呈した
『ガラスの仮面』風ニックネーム。
(「風というよりほとんどパクリじゃない!」というマチコの叫びも無視無視)
「お芝居を見ている観客の目に止まるシーンって、結局自分と関連のあること
なのよね」とパヤ。つまり目の前の事象が自己の内面の投影だってことを、
演じる側のパヤはよく分かっているんだと思うの。
わたくしがいいたいのは、「人は常に自分の主観で物事を見ているのよね~」という
言わずもがなの事実。
自分のことをよ~く観察してみるとわたしたちって一日中自分のことを優先にして、
好きなことや願いをなそうとあくせくしている。ある意味、どこまでも自己中心的な
生を送っているともいえるわ。
そんな自我が時々「重いわ!」って思うこと、みなさんないかぴら?
10年ほど前、つよこベルリンからアムステルダムにお引っ越ししたの。生活が
落ち着いた頃、不思議なことにワーグナーをまた聞き出したの。今考えると
ドイツに住んで、ドイツの文化に身を置きつつあの重厚な音楽を聞くのって
精神的にヘビーなことだったのよね~(ホイップクリーム入りのココアでザッヒャー
トルテを2ピース食べるようなもの?)。在独20年間のうちにワーグナーを
聞いたことは一度もなかったくせに、オランダに引っ越すことで、ドイツの住民
であるという自我や責任感から解放されて、ワーグナー(ドイツ)に対する距離感が
生まれたのね。
我思うゆえに、我あり
デカルト先生がおっしゃったように、世界の認識を自己を主軸にして哲学体系を
作った個人主義のヨーロッパでは、自我というのは、存在の核心であり絶対に
動かせないものであって、自己を捨てるって至難の業だと思うの。
自己を捨て別の人格になりきる役作りをしてしまうパヤは、わたしの知る限り
かなり希有なドイツ人だわ。
「未練なく思いっきり心を空にするのがコツよ。器に何か入っていたら新しいものを
入れられないでしょ」とパヤ。
ドラッグクィーン=ロールプレイングゲーム=他者になる遊び=自己解放だと
定義するつよことパヤ。自己を捨てる快楽というキーワードで結ばれた美しい
友情関係といえそうね。
マリア・テレサやガンジーとか、自分を捨ててまで人のために生きた偉人って
歴史上そんなに多くない気がするわ。究極はイエス・キリストだと思うの。
人の救いの為に自分の命を捧げる、これ以上の愛はないんじゃないかしら・・・ブツブツ
などと考えていたら舞台女優パヤから電話がかかって来たわ。
「あのね、わたし今度、神様の役を演じるんだけど、神様について知りたくて
聖書を3日で読破したわ。で、神様って人間じゃないから肉性を捨てなくちゃ
ダメじゃない?その為に断食してるの。毎朝4時に起きてお祈りもしてるのよ。」
パヤ、あなたって恐ろしい人・・・・
(顔にたて線の入った月影つよこ先生のひとり言)
つよこ・フォン・ブランデンブルク
ベルリン在住のライター兼ドラッグクイーン(年齢・性別は不詳)。守備範囲はコスメ、ゴシップ、アート、建築に至るまで幅広い。豊富な人生経験と慈悲の心からつむがれる筆致にファンは多い。

