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4月12日 桜

つい先日、朝食を食べていると大家の奥さんがやってきて
「前の道で、東電が電線にかかる桜の枝を切り落としているから、
もらってくれば」
とおしえてくれた。
「大きい枝ぶりのとか、ほら、活けるとすてきでしょ。
うちには大きい花瓶がないから、わたしなんて傘立てに活けちゃった」
隣に住む大家の奥さんは、少女のように可愛らしい人なんである。
きっと若い頃は美人で評判で、望まれて鎌倉の資産家の家にお嫁に来て
強烈な個性な姑もいたからそれなりには大変だっただろうけど
その姑も昨年の春、震災後の慌ただしさのなかできちんと見送って
(ああ、おばあちゃんの一周忌もそろそろということだ)
はたから見れば、いわゆる女のしあわせといわれる人生を
順風満帆に送ってきた人のように見える。
もちろん実際のところや奥さんの心は、わたしにはわからないが
人間50年も生きれば、それぞれが経験した喜怒哀楽の比率は
いやでも顔に刻まれて
もはや隠しようのないものになってくる気がする。
50代半ばを過ぎた奥さんが、初恋の少女のような初々しさを
損なっていないのは
ひとえに、ご主人が彼女を大切にしつづけているからなのだろう。
ご主人もとてもやさしそうな人であるから。
そういえば先日会った京都の友人に指摘され
ああ、そのとおりと、ふかく納得したことがひとつ。
自分は人間に興味があって、だからこんな仕事をしているのだと
わたしが言ったとき、
すべからく慧眼の持ちぬしで、つねに真理を突く発言をする彼は
少々あきれた目でわたしを見ると、こう言い切ったのだ。
「鈴木さんは人間になんて興味あらへん。鈴木さんが興味あるのは
『しあわせ』や」
(間。ぱちくり)
いやー、ごもっとも。
そうです、わたしが興味あるのは「しあわせって何?」、それに尽きるのです。
なのに、わたしがしている仕事は、まさに「しあわせのぞき」以外の何でもなく
悲しみや憎しみや無念が渦巻く、それこそ「人間界」には近寄ろうともしていない。
そこを見すえなければ、本当のしあわせなんてわかるわけもないのだろうから
友人の一言は、ちょっと手痛い一言でもあった。
枝桜を飾る部屋がそこから桜色になる
水かえのために桜の花瓶を持ち歩いたら、花びらの道ができた。

