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Behind the Disk by 高田漣

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2012.01.17

朝日のあたる部屋の話

去年のある日、テレビで五社英雄監督の「吉原炎上」が
やっていて思わず見入ってしまいました。
それは若かりし頃の名取裕子の濃厚な
ベッドシーンが見れるからではありません(笑)
落語に興味を持ってからというもの、
東京の下町風情などにも興味がいき、
多くの噺に出て来る吉原の景色や
当時の花魁のたくましさなど知りたい事が沢山で
その一部始終のように映画が映ったからであります。

毎度ばかばかしい話を一席。

去年のはじめの頃に三ノ輪から千束にかけて散歩した際に
吉原の大門はこの辺にあったのかと思ったり、
投込寺と呼ばれた浄閑寺を確認したりしました。
三多摩で育った僕には東東京は街並は未知の土地で
それこそ海外の都市と同じくワクワクします。
同時に子供の頃から多くの時間を過ごした
京都のように昔ながらの街並が残っているので
妙に懐かしかったりもするわけです。

さてその映画「吉原炎上」のなかで舞台となる遊郭の
「中梅楼」は当時としては(映画の時代設定は1911年)
かなりモダンな洋風の建物で、何故かそこだけが
ニューオリンズの景色のように見えたりしました。
それででしょうか? 映画を観終わった後に
ふと親父が日本語詩をつけてカバーして
歌っていた「朝日楼」という曲を思い出しました。

「朝日楼」の原題は「House of Rising Sun」。
日本では「朝日のあたる家」のタイトルで知られた曲であります。
北米の伝承歌であったこの曲については面白いエピソードがあります。
若かりし頃のボブ・ディランはNYのグリニッジヴィレッジなどで
多くの先輩ミュージシャンの演奏を真似ながら
自分のスタイルを確立しようと模索していたそうです。
そんな折、ディランはコロンビア・レコードと契約します。
そしてその初めてのアルバムの録音の際に
「House of Rising Sun」を歌いました。
しかし、これは彼がアレンジしたバージョンではなく
先輩にあたるデイヴ・ヴァン・ロンクのそれでした。
現存する音源では1933年にクラレンス・アシュレイという
伝統音楽家が録音したものが最古と言われているようですが
その後のレッドベリーが歌ったバージョン等を聴いても
それらはブルース進行であり、明らかにデイヴ・ヴァン・ロンクが
アレンジしたAmから下降していくベースラインが印象的な
それとは全く異なるものです。
この辺の経緯はディランのドキュメント
「ノー・ディレクション・ホーム」で詳しく語られていますが、
要約するとディランがデイヴ・ヴァン・ロンクに
許可を得ないまま彼のアレンジで録音したそうです。
これによって、しばらくの間、デイヴ・ヴァン・ロンクは
この曲を演奏するとディランの真似だと言われるので
演奏出来なかったそうですが、しばらくすると今度は
ディランのバージョンを下地にロック化したアニマルズの
「House of Rising Sun」が大ヒットして、
今度はディランが歌えなくなったとか(笑)

さて、その歌の内容はと言いますと「朝日のあたる」という
言葉の響きの陽なイメージとは正反対のとても悲しい、
実に悲痛な歌であります。
ニューオリンズの情婦となった女性がその半生を綴るという
内容なのです。高田渡バージョンではタイトルも「朝日楼」と
していますが、これによって僕はどことなく異国の事なのですが
吉原辺りの景色と重なって感じます。

ニューオリンズに女郎屋がある
ひとよんで朝日楼
たくさんの女が身をくずし
そうさ!あたいもそのひとり
(「朝日楼」高田渡)

ちなみに、この高田渡バージョンは長調で歌われていて、
それが余計に悲しさを誘いますが、
マイナーのバージョンの方は別の詩で歌っています。
そのタイトルは「ソフィア」です。

東京のまんなか四谷の街に
ソフィアという大学がある
たくさんの若者が通っている
オイラもそのひとり
(「ソフィア」高田渡)

某有名大学のことを歌っているようにも思えますが
内容はどちらかと言うと学校という権威主義や、
はたまた、それから逃れられない現代人の性を
歌っているように思われます。
実はオリジナルの「House of Rising Sun」も
諸説あって実は刑務所の事を歌っているとも言われています。
どちらにしてもこのバージョンは
笑える替え歌のように聞こえながらも
実は根深い社会構造を歌った痛快な詩だなと最近思います。

さて「吉原炎上」では出番は少しですが
すごく印象的なのが竹中直人さんが演じる桜田紅洋という演歌師です。
この演歌師とは現在の演歌ではなく本来は演説を歌う職業で
古くは英国に沢山いたとされるブロードサイド・バラッド等を
歌った人々とほぼ同じ職種であります。
つまり新聞などの活字をメロディーに乗せて路上で歌うのです。

親父もそんな明治の演歌師に相当影響を受けていて
その代表的演者の添田唖蝉坊の歌は沢山カバーしていました。
その親父も歌っていた「あきらめ節」が劇中で
花魁に歌われるシーンでは思わず号泣してしまいました。
(記憶が定かではありませんが、恐らくかたせ梨乃さんだった気が)

お前この世に何しにきたか
税や 利息を払うため
こんな浮き世へ 生まれてきたが
わが身の不運とあきらめる
(「あきらめ節」添田唖蝉坊)

時代も場所も違えども、
そこで必死に生きている人がいる限り歌はある。
僕は古くさい人間だからそう思えて仕方がないのです。

高田漣

20120117takada_P1.jpg別冊歴史読本「落語への招待」

20120117takada_P2.jpgその中の記事はどれも読み応えがあります。下のCDは演歌師の録音集です


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PROFILE

高田漣

1973年、日本を代表するフォークシンガー・高田渡の長男として生まれる。14歳からギターを始め、17歳で、父親の旧友でもあるシンガーソングライター・西岡恭蔵のアルバムでセッション・デビューを果たす。現在は、スティール・ギターをはじめとするマルチ弦楽器奏者として細野晴臣、高橋幸宏、ハナレグミ、アン・サリー、畠山美由紀、Human Audio Spongeなどのレコーディングやライヴで活躍中。ソロとしても今までに5枚のアルバムをリリース。2008年には、高橋幸宏、原田知世、高野寛、高田漣、堀江博久、権藤知彦の6人で「pupa」を結成し、デビュー・アルバム『floating pupa』を発表している。同年、崔洋一監督によるショートフィルム「ダイコン」(小泉今日子主演)の音楽を担当。

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