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Behind the Disk by 高田漣

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2010.08.26

夏の日の思い出の話

あれから間もなく20年が経つのか、、、。
ついこの間の気もするけど、記憶は滲んできています。
変らないのは今年も夏がやってきて、そしていつしか終わるのです。
あれは17歳の夏の思い出です。

毎度ばかばかしい話を一席。

小学4年生でサッカーをはじめてから
高校1年生までの約7年弱の間は
離れて暮らす親父とは疎遠でした。
実際は親父が何か誘ってくれても僕が部活動が忙しく、
休みがなかったので。「お前忙しいな(笑)」。
それからも何度も耳にした親父のこの言葉。
最後に話した時もこの言葉だったな、、、。

それ以前はいつも音楽に溢れた場所、と言うと聞こえが良いですが、
要は不良の大人達がたむろする場所にばかりいました(笑)。
それから高校2年生の夏に、はじめてのレコーディングをする頃から
今日まで僕はなんだかんだ音楽の世界にいるわけで、
そう考えるとむしろその7年間の方が特殊に思えてきます。
実際は人生で唯一「普通の」時期だったのかも知れませんが。

さて、高校生になってサッカー部も辞めて、時間に余裕が出来た僕は
夏になるとまた子供の頃のように京都に長居していました。
そしてちょうどその時期、神戸の六甲の山の上で
西岡恭蔵さんらが主催の、今で言う夏フェスのようなものが催されていました。
恭蔵さんはもちろんの事、大塚まさじさんや、有山じゅんじさん、
憂歌団やデビューしたてのBOOMもやってきたり。
僕も遊びに行って楽屋でうろちょろしていました。

そんなある時、恭蔵さんに
「今度アルバムの録音あるから弾きに来てや」と言われました。
僕は顔から火が吹き出そうなくらい緊張しました。
「ええぇ、れ、レコーディング?」と。
当時の恭蔵さんは「Kyozo & Bun」というユニットを組んでいました。
そのパーカッション担当がAnnsanというかたで、まぁ僕の兄貴みたいな存在です。
僕が産まれた頃から面倒を見てくれていて、よく
「俺はお前のオムツをいつも変えていたんだから、老後は頼んだぞ!」
なんて言われていました。
そのAnnsanが歌う楽曲で僕を呼んでくれたのです。

さすがに、皆さんとしても一応どれくらい弾けるか試したかったのか、
数日後の大阪の十三のライブ・ハウス「ファンダンゴ」で
終演後少しだけセッションしてもらいました。
たいして上手くもない演奏でしたが、恭蔵さんは目を細めて
「漣、ええ感じやなぁ」と言ってくれました。

さらに数日後、京都の家に恭蔵さんから折り目正しい封書で
歌詞カードとコード譜と恭蔵さんの弾き語りのデモ・テープと
それから「楽しんで下さい」とのお手紙を頂きました。
僕は何にも分からないまま闇雲にそのテープに合わせて練習しました。

それから東京に戻って、8月の月末に、
今は無き吉祥寺のライブハウス「のろ」で
アコースティック・ギターの巨匠=中川イサトさんや
ブルース・ハープの巨匠=松田幸一さんなどが主催のライブがありました。
しかし、その前日に親父は長年の不摂生がたたって倒れて急遽入院しました。
恐らく初の入院だったと思います。それ以降はほとんど隔年で入院していましたが。

僕がそのライブのリハーサルに顔を出すと、イサトさんから
「おっ、今日は漣に責任取ってもらわなな(笑)」なんてからかわれました。
そして、それが現実になったのはコンサートのアンコールの際でした。
あれよあれよという間にステージ上に引っぱり出されて、
「漣、Eのブルースやからな」と言われるがまま初舞台を経験しました。
初レコーディングの数日前に初舞台が訪れたわけです。
そもそも一度もライブを経験した事がないまま録音に呼ぶのも無謀ですが(笑)

さて、録音当日は学校も始まっていたのですが、
午後の柔道の授業をサボって家に戻り、
これまた僕の兄貴分のアレンジャーの今井忍くんに、
わざわざ家まで車でお迎えに来てもらってスタジオへ。
スタジオでは「忍が漣のローディーだ」と
皆さんに笑われながら楽器をセッティングしました。
忍くんにはその後に沢山の現場に呼んでもらって良い経験をさせてもらいました。

僕は何も分からないまま初めての録音を終えました。
今聴いても顔から火が出そうな稚拙な演奏ですが、
何より恭蔵さんが「漣のギターはええな。存在感で弾いているやん」と
お褒めの言葉を頂きました。そして茶色い封筒には、その日のギャラと
またも恭蔵さんの優しく、折り目正しい手紙が。

「お疲れさん」の一言とともに。

帰り道、西荻窪のミスタードーナツで母親に
その日のギャラでドーナツを買って帰りました。
後にも先にもそんな事をしたことはありませんが(苦笑)

思えば、あれからちょうど20年。
僕の本当の音楽人生は、あの夏から始まりました。

「蔵さん、はやいものでもう20年です。
蔵さんに言われたようにどうにか続けています。」

高田漣

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PROFILE

高田漣

1973年、日本を代表するフォークシンガー・高田渡の長男として生まれる。14歳からギターを始め、17歳で、父親の旧友でもあるシンガーソングライター・西岡恭蔵のアルバムでセッション・デビューを果たす。現在は、スティール・ギターをはじめとするマルチ弦楽器奏者として細野晴臣、高橋幸宏、ハナレグミ、アン・サリー、畠山美由紀、Human Audio Spongeなどのレコーディングやライヴで活躍中。ソロとしても今までに5枚のアルバムをリリース。2008年には、高橋幸宏、原田知世、高野寛、高田漣、堀江博久、権藤知彦の6人で「pupa」を結成し、デビュー・アルバム『floating pupa』を発表している。同年、崔洋一監督によるショートフィルム「ダイコン」(小泉今日子主演)の音楽を担当。

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