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Behind the Disk by 高田漣

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2010.08.17

盲目的ヒーロー志望の話

楽器を弾き始めてアッという間の20年強です。

毎度ばかばかしい話を一席。


僕が自分の意志で音楽を聴くようになった頃(85年頃)には
テクノ~ニューウェーブの波は収束していました。
僕があと5年くらい早く産まれていたらシンセを弾いていたかも知れませんが、
時代は「ギター・ヒーローの時代」に突入していました。
アフター・ヴァン・へイレンの風は小~中学生にも吹いて来たのです。

もちろんポップスの文脈でもマイケルやマドンナやプリンスや
シンディー・ローパー等のスターが沢山いた時代です。
しかし楽器を弾こうと考えた場合はやっぱり何といっても
憧れはリード・ギターだったのです。
ヴァン・へイレンはボーカリストがサミー・ヘイガーに変わった時期で
かたやオリジナル・ボーカリストのデヴィット・リー・ロスのバンドには
スティーヴ・ヴァイがいたり、
そうそう欧州からはイングヴェイ・マルムスティーンも(笑)
そうだ新人ではボン・ジョヴィやガンズやメタリカもいましたね!

そんな時代なので何度かその手の雑誌「BURRN!」とか買ってみたんですが、
どうにも馴染めませんでした(笑)
自分があの出で立ちになる事よりも、音楽性に違和感を感じていたのです。

そうなる伏線というか、きっかけは小林克也さんの「ベストヒットUSA」です。
時代的にそれらギター・ヒーローやポップ・スターも取りあげるこの番組では
よく克也さんの趣味だとしか思えない様なアーティストを取りあげていました。
何気なくスティーヴ・ウィンウッドを観たのもこの番組です。
スペンサー・デイヴィス・グループ時代の若かりし頃の映像に
少年は感動したのです。時期的にはウィンウッドの大ヒット・ソロの
「バック・イン・ザ・ハイ・ライフ」の頃でしたので特集だったのかも。
そうしているうちにクラプトンとの夢のバンドのブラインド・フェイスに
至ったのです。多分番組で映像を流したような、、、。

さて、このバンドの評価は「まぁまぁ」なのかもしれませんが、
とっても大好きで愛聴していました。楽曲が好きだったのです。
今でも時々聴きたくなるのですが、、、あれれ、CD棚に無い(驚)!
過去3回くらい買った記憶があるのですが、いつも無くしてしまうのです。
さては、あの可愛い子のヌードが見たくて誰か持って帰っているな(笑)。

さて、僕が本格的にギターを弾き始めると京都の伯父が興味を示しました。
、、、と言うより僕が夏冬の休みに京都の母方の実家に帰る時に
毎回ギターを担いで帰るからそれは気になりますよね(笑)。
以前にも話した通り、伯父は京都でライブハウスを営んでいたのですが、
その頃は店をたたんでいました。そのお店でいつもレコードを仕入れていた
ブルースの専門店が神戸にあるから買いに行こうと誘われて一緒に行きました。
恐らく僕が覚えたての「ブルーノート・ペンタトニック・スケール」ばかりを
垂れ流して弾いている事に苛立ったのでしょう(笑)。
しかもアンプに繋がないエレキのペンペンした音で一日中弾かれたら、
さすがの趣味人も気が狂いますよね。

そのお店に入ると黒人ブルースマンのドアップ顔ジャケばかりで、
ブルース初心者の僕には逃げ出したくなるほど敷居が高かったです。
今思うと、T・ボーンとかオーティス・ラッシュとかアール・フッカーあたりの
モダンなチョイスだったような気がしますが、何しろ無知な少年は仕方なく
、、、というか目的の「ブルース・ロック、ホワイト・ブルース」の
コーナーへ直行しました。そしてその日買ったのが

クリーム「カラフル・クリーム」(ジャケの印象だけの邦題ですが、苦笑)
ヤードバーズの廉価ベスト盤
オールマン・ブラザーズ・バンド「フィルモア・イースト・ライブ」

でした。恐る恐るカウンターに持っていくと伯父に
「何や、おとなしいの買うたな」と言われたのですが、すぐに店主が
「わしらも最初はそうやったやんか(笑)」と。

「へぇ~、これがおとなしいなら、
あのブルースマン達の音はどんだけ騒々しいのだろう?」

と少年は意味を取り違えて解釈していました(爆笑)。
数年後には、この良い意味でのリアル・ブルースマンの肩すかしを
おもいっきり楽しむ事になるのですが、、、

、、、その話はまたいつか。

クリームは本当によく聞きました。特にスタジオ盤の場合はリードのパートが
ハモっていたりしてシコシコ研究していました。或いはベースの動き方とか。
ドラムは全く分かりませんでしたが(爆)。
最近また運転中に気合いを入れる為に聴いています。
今はドラムばかり聴いています。

ヤードバーズはきちんとオリジナル版を買うべきでしたね。
時期もバラバラに羅列された売れそうな曲だけを集めたこの盤では
このバンドの神髄を聴く事は出来ませんでした。
まぁむしろ、だから後になってベック~ペイジ期は執拗に聴きましたが。

そして、なんと言っても伝説のフィルモアのライブの
デュアン・オールマンの空を駆けるようなスライド・ギターに心酔しました。
それからデュアンは僕のお手本になりました。あの粘っこくてブルージーな
それでいて髪の毛を撫でられるような、あの演奏にやられてしまったのです。
その後、またクラプトン絡みですが、定番のデレク&ザ・ドミノスの「愛しのレイラ」の
後奏におけるスライドの美しさも。そう言えばこの曲、TDKのカセットテープか何かの
CMでかかっていた気がしますがご記憶の方いますか?

100817takada_P1.jpg写真右の全裸の男がデュアン

そして、前回もお話ししたマッスル・ショールズのデュアンのセッション集での
ウィルソン・ピケットの「ヘイ・ジュード」やアレサ・フランクリンの「ウェイト」!
アレサのザ・バンドのカバー曲「ウェイト」のデュアンのドブロ(涙)
そして極めつけはボズ・スキャッグスとの共演アルバム。
このサンフランシスコの坂道にたたずむ色男のソウル・アルバムには
全編に渡ってデュアンのギター・ワークがフィーチャーされています。
このアルバムを聴く頃にはソウル~R&Bにも心酔していたので
ヘビー・ローテーションでした。
そして何よりマッスル・ショールズのリズム隊のキメの細かさと骨太さに心躍らせ、、、

100817takada_P2.jpg『シルク・ディグリーズ』の大ヒット以前の若かりし頃のボズ・スキャッグス

そうなんです。気がつくと「ギター・ヒーロー」はどこへやら。
激シブの音楽性になってしまっていたのです。
だから高校生の頃になると、まわりの同級生と音楽の話は出来なくなっていました。

折しもイカ天の時代。かたや渋谷系の時代もすぐそこ。

西岡恭蔵さんの録音現場に呼ばれたのは、そんなまだ青臭い頃でした。
右も左も分からぬまま、ポ~ンとブースに放り込まれたので。
トークバックからは「好きにやったらええよ!」と言われながら。

、、、続く。


高田漣

100817takada_P3.jpgギターマガジン'05 3月号はオールマンズの興味深い記事多数です

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PROFILE

高田漣

1973年、日本を代表するフォークシンガー・高田渡の長男として生まれる。14歳からギターを始め、17歳で、父親の旧友でもあるシンガーソングライター・西岡恭蔵のアルバムでセッション・デビューを果たす。現在は、スティール・ギターをはじめとするマルチ弦楽器奏者として細野晴臣、高橋幸宏、ハナレグミ、アン・サリー、畠山美由紀、Human Audio Spongeなどのレコーディングやライヴで活躍中。ソロとしても今までに5枚のアルバムをリリース。2008年には、高橋幸宏、原田知世、高野寛、高田漣、堀江博久、権藤知彦の6人で「pupa」を結成し、デビュー・アルバム『floating pupa』を発表している。同年、崔洋一監督によるショートフィルム「ダイコン」(小泉今日子主演)の音楽を担当。

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