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Behind the Disk by 高田漣

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2010.06.21

あの人たちの後ろ姿を追いかけての話

先日、とある打ち上げ会場の大画面でデヴィッド・ボウイの
TVライブ映像が流れた。サタデーナイトだったか?
そこで同席していたエド・ツワキ氏が
「この映像持っているかも。他にもあるはずだから今度送るよ」と言ってくれた。
数週間後に不意に送られてきたボウイのライブ映像は素晴らしくて感動しました。
以前にもコラムで書いた「ヒーローズ」の発売後の来日公演('78)の模様を
放送したものを録画した貴重な映像で、とにかくボウイが良い男すぎ(笑)!
バンドも良い。中でもあの時期のエイドリアン・ブリューの
切れ具合はとにかく素晴らしいの一言です。
そして選曲も大好きなベルリン期のものだけでなく
「ファイブ・イヤーズ」や「フェイム」なども披露していて
いやが上にも画面の前で盛り上がってしまいました。

その映像を観ていたら昔を思い出したのです。
と言ってもそんなに前じゃありませんが。

毎度ばかばかしい話を一席。

以前にも書いた通り二十歳を過ぎたある時期から
僕は山内雄喜師匠のところへ弟子入りしました。
山内さんは日本を代表するハワイアン伝道師であります。
これも以前書いた事ですが弟子入りとは名ばかりの、
たかりのようなもので、毎回ごちそうして頂くばっかりでした(笑)。
あのお蕎麦屋さんはまだあるのかな?

その上そこでは沢山の先輩ミュージシャンの方々ともお会いする事になりました。
先輩ペダルスティール奏者で兄貴分のような存在の田村玄一氏ともそこで出会いました。
玄さんのスティールは南国だけでなく世界中を旅するようで
今でもお手本とする演奏家です。
僕がまだインスト主体のソロアルバムを出していた時期に、
いつもお手伝いして頂いていたギタリスト桜井芳樹氏や
玄さんのバンドのロンサム・ストリングスは是非とも皆さん聴いて下さい!

さて、その山内さんのお宅に、ある日その界隈には
似つかわしくないような妖艶な女性が現れました。
それはまさしくサンディーでした。
もっとも山内さんを認識したのも、サンディーの
初のハワイアン・アルバム「サンディーズ・ハワイ」でしたが。
もともと久保田麻琴さんの夕焼け楽団の大ファンでした。
もちろんサンディー&ザ・サンセッツ時代も大好きでした!
ちょうど「サンディーズ・ハワイ」の前にサンディーが出したソロが
ダンドゥットゥ等のインドネシアやマレイの音楽を取り入れていたりで
興味があったのです。

100621takada_P1.jpg一番尖ってた頃のサンセッツとサンディーのソロ。そして「Sandii's HAWAII」

そう言えばギターを弾きはじめたばかりの高校生の頃に、親父に
「ケニーのギターは聴きにいった方が良いぞ。というかMCを聞け」と
訳もわからず勧められた事があります。
ケニーとは夕焼け楽団~サンセッツの名ギタリスト=井上ケン一さんの事です。
当時、吉祥寺の「Bポイント」であった飛び入りブルース・セッション
+ライブのようなイベントにケニーさんが来ると聞いて僕も参加しました。
その日のケニーさんの美しいギターの演奏と軽快なMCに脱帽しました(笑)。
当時の噂でケニーさんはあまりにMCが上手すぎて
結婚式の司会の営業の仕事が舞い込むほどだったとか(笑)
さて果敢にもそのイベントに遊びに行った僕が楽屋で
今まで出会ったギタリストの先輩方とは違った風貌の、こざっぱりした方に
「へぇ、君が漣君か。ところでチューナー貸してくれる?」
と声をかけられました。
その方こそ「Dr.K」こと徳武弘文さんです。
10数年後に同じバンドで演奏する事になろうとは思いもしませんでしたが(笑)

話が横丁に、いや横道にそれました。

いつしか山内組でもっとも若くて、しかも異分子の僕の演奏を
「ロックっぽいから」と認めてくれて大きなステージにあげてくれたのも
サンディーでした。僕はあの時期、心底ハワイに心を奪われていました。
それはそれ以前のフリー時期からの反動だったのかも知れません。
だから「ロックっぽい」という言葉がしっくりきてなかったのですが、
実際サンディーの演目はオーセンティックなハワイアンというよりも
少しグローバルで開けた感じのアンサンブルだったので演奏していて楽しかったです。

はじめて会った頃、サンディーはまだフラの師匠(クム・フラ)ではなかったと
記憶していますが、ほどなくして沢山の生徒さんを従えてのライブ形態に変っていきました。
通常は3部形式のステージで、第1部は古典のフラ・カヒコ。
実は自分達が演奏に参加しないこのイプ(ひょうたんで出来た伝統楽器)と
オリ(祈りの言葉)のみで繰り広げられるステージが一番好きでした。
ほとんどヒップホップのような力強いステージを観たら、
皆さんのハワイに対する認識が恐らく変ると思うほどです。

第2部はアウアナ(伴奏アリの所謂ハワイアン)でここから僕らも参加します。
伝統的な楽曲やらエキゾチックな楽曲やらを山内さんや玄さん達と演奏します。
そして最後の第3部がタヒチアン!ここでは打楽器主体のアンサンブル。
僕は主に一斗缶をひたすら16部音符で弾く役でした。
このアンサンブルがまた素晴らしく独特な変拍子で出来ていて勉強になりました。
普通の音楽と違って4で割れない小節で、ひとつの周期になる事に戸惑っていたら
サンディーが「踊りを観ているとわかるわよ」と教えられました。
だからいつも美しい踊り子さんの後ろ姿だけを観ていました(笑)
あくまでも良い演奏のためですよ(爆笑)!

100621takada_P2.jpg昔ハワイで買ったタヒチアンのアルバム。これかなり良いっす!

そのサンディーに、ある日ハワイアンネームをつけて頂きました。
ハワイアンネームとは、例えば師匠はハワイ時代にオレンジばかり食べていたので
周りのハワイアンにアラニ(オレンジの意)という
ハワイアンネームを名付けられ、そう呼ばれていました。
さて、サンディーが付けてくれた僕のハワイアンネームは「カヴィカ」でした。
これはサンディー曰く、
「漣くんは渡さんの息子という音楽の良家の子孫でプリンスだから、
デヴィッド・カラカウアの愛称のカヴィカが良いわ!」
との、ありがたくも恥ずかしい言葉。
ハワイの有名な王様のデヴィッド・カラカウア王の「デヴィッド」は
ハワイ語では発音されると「カヴィカ」になるそうですが
やっぱりあまりに気恥ずかしくて一度も名乗った事はありません(笑)。

ただ後で気がついたのは、やけにデヴィッドと名のつく
アーティストが好きだという事です。
ボウイ、シルビアン、バーン、リンドレー。
ふぅむ、あやかりたいものであります。

そう言えば、ある日のステージ(日比谷の音楽堂だったかな?)で
ステージ上から客席最前列に、ある人をお見かけしました。
サンディーが「カヒコが好きで今日観に来るわよ」と言っていた人でした。

遠くからでしたが、その時に初めて肉眼で観ました。
その人とは細野晴臣さんでした。

ご一緒するのはまだかなり先の話ですが。

高田漣

100621takada_P3.jpg名盤「レイジー・ベイビー・ケニー」と一緒に

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PROFILE

高田漣

1973年、日本を代表するフォークシンガー・高田渡の長男として生まれる。14歳からギターを始め、17歳で、父親の旧友でもあるシンガーソングライター・西岡恭蔵のアルバムでセッション・デビューを果たす。現在は、スティール・ギターをはじめとするマルチ弦楽器奏者として細野晴臣、高橋幸宏、ハナレグミ、アン・サリー、畠山美由紀、Human Audio Spongeなどのレコーディングやライヴで活躍中。ソロとしても今までに5枚のアルバムをリリース。2008年には、高橋幸宏、原田知世、高野寛、高田漣、堀江博久、権藤知彦の6人で「pupa」を結成し、デビュー・アルバム『floating pupa』を発表している。同年、崔洋一監督によるショートフィルム「ダイコン」(小泉今日子主演)の音楽を担当。

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