2010.04.12
怒りのベクトルの話
マルコム・マクラーレンが亡くなった。享年64歳。
去年、美容室に行った際「マルコムみたいに切って下さい」と
子供みたいな事を頼みました。
結果はどちらかと言うと楳図かずお先生か池田満寿夫巨匠。
英国人にはなれない極東の血を恨んだものです(笑)。
毎度ばかばかしい話を一席。
もう数年前の話なので本人も忘れていると思いますが
以前、リトル・クリーチャーズの栗原くんに
「漣くんって聴かない音楽ってあるの?」と尋ねられ、
「しいて言えばパンクかな。」と答えてしまった。
永遠のパンク少年=栗原くんが悲しそうな目をしていました(笑)。
でも僕はクラッシュは大好きだったしスリッツも大好きだし、、、そう、
「しいて言えばピストルズはほとんど聴いた事がない。」
が正しかったのかも知れません。
これはあくまで私見ですがロックにせよパンクにせよ
「怒り」を伴った音楽は「怒り」を伴った年頃に聴く事で
お互いの波が助長されて本人の人生観あるいは人格形成に影響を与える気がします。
「怒り」を伴った年頃は青春時代に限った話ではないかも知れませんが。
で僕の場合は!なのですが子供の頃からまわりにファンキーな方々が多かったし、
世間的な意味での「反抗」をするなら
「ちゃんと勉強して立派な社会人になる」事だったのかも知れません(爆笑)。
大学に入学した際、親父の旧友であり日本を代表するブルーズマン=シバに
「お前のロッケンロール人生はここまでだな(笑)」
というありがたいお言葉を頂きました(笑)。
大学と言えば僕が入学が決まった際、
別々に暮らしていた親父はまとまったお金を渡そうと
一旦は封筒に入れたものの僕の入学する大学を眺めた後
「漣くんはこんなに立派な建物の大学生になるんだから安心だ」と
勝手に納得しそのお金の一部で帰りに一杯引っ掛けたとか(笑)!
、、、話が横道にそれました。
僕は小学六年生~中学時代はカルチャークラブ等のポップな存在には憧れていたものの、
ほとんどパンキッシュなものには反応しなかったです。
「怒り」のベクトルはその頃には通常の方とは
180度違っていたのかも知れません(笑)。
中学三年生の春休み(つまり高校入学前かな?)に親父が
汐留かどこかで大きなイベントに出ると聞き、
中学校の同級生で唯一の音楽の話の出来た友人Sくんと観に行ったのですが、
前後が有頂天のケラさんと筋少の大槻ケンヂさんのユニットの
空手バカボンとラフィン・ノーズでした。
クラスで一番頭の良かったSくんは両者とも知っていて興奮していたが
僕の方はサッパリ(笑)。
その後しばらくの間、親父の吉祥寺でのライブでは
モヒカン頭の方々を良く見かけました。
僕はその後それから大学時代にいたるまでもピストルズそのものには無反応でした。
でもその仕掛人マルコム・マクラーレンやヴィヴィアン・ウエストウッドや
ジョン・ライドンの後のグループのパブリック・イメージ・リミテッドやらが
大好きになりました。
ピストルズ時代のジョン・ライドンが
ドイツの至宝CANの影響から独語訛りに歌っていたとか
史実そのものはどんどん吸収していったのに肝心の本体は、、、。
おそらくそれは彼らの魅力の根源であった「怒り」を僕が持ち合わせていなかったのでしょう。
徐々に僕はその後ろでほくそ笑んでいる策士=マルコムに惹かれていきました。
彼が紹介したもの創造したものがトレバー・ホーンであったり
アフリカ・バンバータであったり、、、
んんん、カルチャークラブも!
そうかその時点ですでに僕は彼の策略にはまっていたのですね。
彼が天国で次に仕掛けるのは何なのでしょうか?

あらためて最高にイカした山師、マルコムのご冥福をお祈りいたします。
高田漣
Macはみた!マルコム風、、、ではない(笑)。
高田漣
1973年、日本を代表するフォークシンガー・高田渡の長男として生まれる。14歳からギターを始め、17歳で、父親の旧友でもあるシンガーソングライター・西岡恭蔵のアルバムでセッション・デビューを果たす。現在は、スティール・ギターをはじめとするマルチ弦楽器奏者として細野晴臣、高橋幸宏、ハナレグミ、アン・サリー、畠山美由紀、Human Audio Spongeなどのレコーディングやライヴで活躍中。ソロとしても今までに5枚のアルバムをリリース。2008年には、高橋幸宏、原田知世、高野寛、高田漣、堀江博久、権藤知彦の6人で「pupa」を結成し、デビュー・アルバム『floating pupa』を発表している。同年、崔洋一監督によるショートフィルム「ダイコン」(小泉今日子主演)の音楽を担当。

