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ここ数ヶ月間、忙しさがピークで
なかなかこの連載が書けなかったのですが
今月に入り時間的に余裕が出てきても
書けない日々が続いておりました。
それは何故かと考察してみると、、、
毎度ばかばかしい話を一席
思い起こせばこの連載を書きはじめたのは
旧e-days時代からでかれこれ3年8ヶ月だったようです。
本当にあっという間のようであり、
しかし長い時間だったのだな~と思います。
この連載をはじめるにあたって、
当初は紹介するアーティストの音楽的な側面よりも
僕自身の個人的な思い出を語るというスタンスで書きはじめました。
僕よりも資料としてのデータを遥かに
持っている方々を沢山知っているので、
僕はどちらかと言えば、読者の皆さんに、
そんな音楽を初めて聴くチャンスになれば良いなと思っていました。
そんな連載当初に意外な方から励ましのお言葉を頂きました。
それは他ならぬ川勝正幸さんでした。
ご自身も色んな音楽に触れていらっしゃる川勝さんから
「漣さんのおかげでデレク・ベイリー聴きはじめました」
と言われた時は嬉しくて涙が出そうでした。
そんな折に一旦連載が終わるという事が決まり、
川勝さんにご相談して、その時点までのコラムをまとめて
大幅に加筆して書籍化しようとお話ししていました。
ところが連載がそのままFIGAROのページで続くという事になり
「漣さん、これは良い機会ですからもう少し書き続けて下さい。
そしてこれからはひとつご提案があって、
それはより漣さんの個人史的な、子供の頃に見てきた
東京の音楽シーンについて書いてみて下さい。
そうやって漣さんが子供の頃から感じた音楽の現場の裏側は
貴重な資料になるに違いありませんから、
それをいずれ総括する事は
漣さんのひとつの使命だと思うんです。」
そう言われ、川勝さんからいくつかの時間軸と
アーティストのアイデアを頂きました。
そして月日が過ぎたある日、
いずれ書かれる本の為の序文を川勝さんにお渡ししました。
その返信にも激励のお言葉を頂き、
さぁ、これからって時に
川勝さんはお亡くなりになってしまいました。
あまりに突然の出来事に、まるで船頭をなくした船のように
僕は何を書くべきなのか迷いはじめましたが、
川勝さんから頂いたアイデアを具現化すべく書き続けました。
その事とはその後に父親の高田渡の唯一の詩集「個人的理由」を
オリジナルに近い形で再発したいと言うお話を
文遊社さんから頂き、その際の色々なプロセスの中で
父の膨大なデビュー前の資料にブチあたりました。
「個人的理由」以前の日記のようなものです。
それは後世に残す為に書かれたものではない、
もっともっと個人的なものでありながら、
非常に日本のフォークソング音楽史を語るに
重要な文献である事は僕の目からみても明らかでした。
オリジナル版とブロンズ社復刻版、そして祖父の詩集
文遊社版
僕が今まで無意識に書いてきたものは
到底そんな父の音楽的資料とは比べ物になりませんが、
たとえ音楽家でなくとも、
「その人々のレコード棚にはその人々の人生が反映されているのでは?」
という当初の自分のもうひとつのテーマが
あながち間違っていなかったのかな?
と思った瞬間でありました。
さて、さらに個人的なお話になりますが、
来年の夏頃を目処に久しぶりにソロアルバムを出すことになりました。
ここ近年書いたものも録音すると思いますが、
新たに書きはじめた楽曲も多く、それらは恐らく
この連載上で書きたい!と思う衝動と同一のもので
アウトプットが異なるだけなのかなと思いはじめました。
つまり自分が好きだった音楽を自分なりのスタンスで
色んな方々に紹介したいという衝動です。
根がおしゃべりなものですから(笑)
ですので、しばらくの間この連載は書かない事にします。
そして黙っていられない性分の僕ですから、
近いうちにまたどこかでお会いするかもしれません。
その日まで、しばしお別れです。
本当に長い間ありがとうございました。
高田漣
南会津にて
今年の夏ももうそろそろ終わろうとしています。
朝晩はめっきり過ごしやすくなってきたし、
外からは蝉の声ではなく鈴虫の声?
うんうん、夏は確かに終わろうとしています。
あっ、ミュージシャンにとっての夏っていうのは
フェスって言葉と同義なのですが(笑)
毎度ばかばかしい話を一席
不思議なもので何年も演奏家をしていると
毎年毎年、今年はこのアーティスト、というように
長い時間を過ごす(つまりは仕事をする)アーティストが違う。
去年は日本を代表するロックバンド=くるりと夏を過ごしました。
今年は?というと星野源くんとの怒濤の夏を過ごしました。
以前にも書きましたが、
源くんやサケロックの皆との出会いは
今から約10年ほど前であります。
今からは想像もできないような短髪で黒ブチの眼鏡をかけた
その青年は会うやいなや何故か土下座をしました(笑)。
もっとも、土下座されるような経緯も特になく、
僕自身、サケロックというバンドの噂をチラホラ聞いていたので
ようやく会えた!と思い、それから話をさせてもらいました。
当時、僕はペダルスティール奏者としてソロアルバムを出し
新たなスタートを切ったばかりで、彼らサケロックも
独自の世界観を持ったインストバンドとして
徐々に知名度を上げはじめている、そんな時期であったので
お互い同じような悩みや意気込みがあっただろうと思います。
そして、僕がはじめてサケロックの演奏を観た
その夜の印象は一言でいうと
「スゴいリズム隊のいるバンド!」
でした。
愛すべき、いじられキャラで大人気のトロンボーンのハマケンも
今では俳優としても大人気の源くんも印象を忘れるほどの
独特なリズム感にヤラレてしまったのです。
不思議なもので、そのドラマー・伊藤大地くんは
今では僕と同じ事務所でして、毎日バリバリと働いています。
源くんは時々MCで「漣さんに誘ってもらったおかげです」
と言ってくれますが、
実際は僕が彼らの音の渦に入って行ったのです。
確かに僕がお誘いして自分のサポートをお願いしたライブで
偶然にもDJで来ていたユアソンのジュンくんがきっかけとなって
サケロックは最高にバカで最高に温かいレーベル「カクバリズム」と
出会うわけではありますが。
そんなサケロックとは、その後も何度も一緒に演奏したり
レコーディングしたりしましたが、
いつの頃からか源くんはポツリポツリと歌うようになりました。
サケロックのアッパーで、のほほんとしているような
その世界観とはまた違う独特な詩世界と楽曲を手に入れるまでに
それほどの時間はいらなかったようです。
不思議なもので、僕が何となく歌うようになったのも
ちょうど同じような時期ですが、
お互いそれについて話したことはないですね(笑)
そんな源くんのソロ作には最初から参加していますが、
今年からはがっぷりよつに沢山ライブを重ねました。
源くんのライブを一度でも観た人なら気がつく話かも知れませんが、
その内向きな詩世界とは裏腹にサウンドは実にロックなのです。
荒々しく歪んだ源くんのギブソンES-125の音は
そこいらのロックバンドよりも歪んでいます(笑)
源くんのライブでいつも愛用している、
僕の69年製フェンダーのアンプの
「ツインリバーブ」は源くんのステージが最大音量で
ツマミが7~8です!分かる人には分かる話ですが
ステージ上はかなりの爆音なのであります(爆笑)
ちなみに細野晴臣さんのステージではツマミは4でも大きいくらいです(笑)
そうそう、ご存知の方も多いと思いますが、その細野さんバンドも
源くんバンドも同じメンバー(伊藤大地、伊賀航、高田)です。
僕自身の最近のソロ活動でもいつもサポートしてくれる
このお二人の阿吽の呼吸がサウンドにまろやかさを与えると同時に
伊賀航のボケっぷりがツアーに花を添えてくれるのです(爆笑)
そんな楽しいメンバーとのフェスも一段落。
ツアーの四方山話は山のようにありますが、
、、、その話はまたいつか!
高田漣

先日、光栄にもビーチ・ボーイズに直接お会いしました。
ほんの一瞬とはいえ同じ場所にいることに震えました。
しかも、メンバー全員がいるという幸せ。
ビーチ・ボーイズについては書き出したら止まらないし、
今までも何度か書きました。でも、今日ばかりは興奮とともに書きます。
毎度ばかばかしい話を一席。
これは以前にも書いた話ですが、
僕が最初にビーチ・ボーイズに興味を持ったのは
ヴァン・ダイク・パークスという
北米音楽界の鬼才によるところが大きいです。
はっぴいえんどの「さよならアメリカ さよならニッポン」や
親父の高田渡の「フィッシング・オン・サンデー」のおかげで
子供の頃から「ヴァン・ダイク」という
不思議な言葉の響きには触れていたのですが。
しかし、ビーチ・ボーイズという存在を認識したのは
実際はもう少し前で、トム・クルーズ主演の映画「カクテル」の
主題歌として「ココモ」が大ヒットしているあたりですから
僕が11~12歳頃(1988年あたり)のことだったと記憶しています。
当時、大阪の茨木に住んでいた従兄弟のNくんは
一人っ子だった僕にとって、お兄さんのような存在で、
夏休みと冬休みの時に、いつも泊まっていた京都の母方の実家から、
よく阪急電車で遊びに行っていました。
Nくんも姉と妹はいるものの、男兄弟がいなかったせいか
僕を弟のように扱ってくれたので、いつも後ろをついてまわってました。
そのNくんは音楽マニアではなかったけれども
何となく流行りの音楽をラジカセで聞いていたりしていました。
だから、僕もそこで「ココモ」を聞いていたのです。
これも以前書きましたが、Nくんが
もうひとつよく聴いていたテープがタイマーズでした!
中学生と小学生の従兄弟同士が、映画よろしく
カクテルでカンパイ!というわけにはいくはずもありませんが、
トム・クルーズの前作「ハスラー2」の影響で
二人でよくビリヤード場に行っていました。
小柄な小学生がいっちょまえにキューを構えていたのを
思い返してみると酷く滑稽でかわいらしいなと思います(笑)
子供ながらに聞いた「ココモ」=ビーチ・ボーイズの印象は
軽ーい印象しかなくって、だからその後、中学生になって
洋楽を聴きはじめてからも食指が伸びませんでした。
それが高校生になって、前述のヴァン・ダイクの
名盤「ソング・サイクル」を聴いたあたりから状況が変わってきました。
それまで聴いていたポップス、ロックとは明らかに異なる語法で紡がれる
その作品に頭がクラクラして、同時に、そのヴァン・ダイクのキャリアの中で
避けては通れないビーチ・ボーイズの「スマイル」に興味が湧いたのです。
ご存知の通り、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが
狂気の中で見た、この「スマイル」という白昼夢は
ロック至上に残る未完の大作であり、
現在出ている「デラックス・エディション」ですら
もはや完成品ではない!と言うのが
僕の意見ですが、ファンの方々はどうなのでしょう?
さて、高校生の僕はまずはその未完の大作のひとつ前の
これまたポップス至上に残る名盤の「ペット・サウンズ」を手に入れました。
はじめて、このアルバムを聴いた時の衝撃は今でも忘れません。
明るい長調の曲なのに何でこんなに暗く憂鬱な響きなのだろうか?
それまで感じていたストライプのシャツを着て、
ビーチ・ガール達と戯れる西海岸のお金持ちの浜っ子という
僕のイメージとはかけ離れていたのです(笑)
その後、簡易型の「スマイル」と言うべき
「スマイリー・スマイル」を聴きました。
今でこそ好きな作品ですが、
当時は自分にとって消化不良で
それほどは聞き込みませんでした。
そして大学生になった頃に海賊盤の専門店で
ようやく完全なかたちの未完全な「スマイル」を手に入れました(笑)
その響きは狂気と幸せとを交互に行き来する波のようで、
それからは毎日、中毒のように聴き続けました。
そんな僕をみて、当時のバイト仲間で、
ビーチ・ボーイズ・マニアだったSくんが
勧めてくれたのが「フレンズ」と「サンフラワー」でした。
これは史実として有名な話ですが、
前作「ペット・サウンズ」を自信を持って完成させた
ブライアンでしたが、当時のレコード会社(キャピトル)も
当時の多くの健康的な浜男を期待するファンからも
決して完全な支持を得ることは出来ず、
キャピトル側は急遽、間に合わせでベスト盤を作り
そちらの方が結果として大ヒットしてブライアンは
相当ショックを受けたそうです。
さらに、その後の「スマイル」の制作を断念した頃には
心身ともに想像を絶するほど疲弊していたのでしょう。
その後のブライアンは時折、復活をするものの
基本的にはそのショックからか立ち直ることが出来ないままでした。
それを補うかのようにバンドは成長して、
特にウィルソン3兄弟の次男、デニスのソングライターとしての
成長は目覚ましいものがありました。
そんな時期の、この2枚のアルバムは狂気の渦中の
ロック・マエストロが産み出した作品ではなく、
音楽を純粋に楽しむ喜びに満ちたバンド作品であり、
僕自身がこれらの作品でとっても救われた気がします。
その後、3兄弟で唯一のサーファーのデニスが
その海で亡くなってしまった(83年)のは本当に残念ですが
この時期の作品を残してくれただけでも本当に感謝しなきゃいけませんね。
ブライアン自身も「ココモ」制作と同時期に作っていた
(「ココモ」自体は基本的にはブライアン不在の作品です)
初のソロアルバムでは音楽による浄化を求めたのかも知れません。
しかし、その仲介者が如何わしい精神科医だった!
という不幸もありましたが(失笑)
その後のブライアンは勘を取り戻しはじめたのか
ヴァン・ダイクとの共作「オレンジ・クレイト・アート」など
着実に復活しはじめていていました。
だからこそ、三男のカールが癌で亡くなって(98年)以降の
バンド不和は悲しい話でしたし、
もうメンバーが一緒にステージに立つことはないのだと
なかば諦めていただけに、ここ数年の急激な関係回復と
今回の奇跡の全部盛り来日は嬉しくて仕方ありませんでした。
ビーチ・ボーイズのことを考えると
本当に色んな感情が浮かんでは消えます。
しかしそれらをすべて、あの美しいハーモニーが包み込んで、
気がつくと僕らをハッピーにしてくれる!
そんなことを海の近くの球場のベンチで思った夜でした。
音楽って素敵じゃないか!
高田漣

気がつくと10周年記念ライブから1ヶ月が過ぎていました。
1ヶ月このコラムも書いていなかったようです(苦笑)
お詫びをしつつも今日は心を引き締めて一席。
6月の末のライブのあと、すぐに始まったのが
YMOのリハーサルでした。久々のYMOのサポートで
かなり緊張しつつもイベントの趣旨もあって
非常に意気込んで臨んだライブでした。
言わずもがな、坂本龍一さんが主催した、
脱原発イベント「NO NUKES2012」がそれでした。
このイベントの趣旨に共感して来日して演奏したのは
な、なんとKraftwerk!YMOと同じステージで演奏するのは
もちろん初であり、それだけで一大事件でしたが、
どちらも一曲目が「Radioactivity(放射能)」だったことは
(Kraftwerkはその前に前奏的に「Geiger Counter」を演奏)
このイベントを物語っていますね。
YMOのバージョンは、もともと細野さんのソロでも
演奏しているバージョンを元にしながらも、
よりタイトになった、正しくYMOのバージョンでした。
リハーサルを重ねてリズムの輪郭が見えてきた頃から
細野さんの弾くベースラインがYMOの「Insomunia」のそれ
だったことも記しておきます。
NO NUKES2012会場
NO NUKES2012公式ガイドブック
NO NUKES2012での署名会場
教授のセットは本番とはレイアウトが違います!
細野さんの木琴とへフナー
幸宏さんのバスドラのロゴにニヤリw
一方、Kraftwerkのバージョンは僕の予想を上回る
まさかの日本語で歌われたものでした。
この曲が発表されたのは1975年で
前作「Autobahn」の大ヒット後の4人体制の黄金期のものですが、
元々は放射能~核の問題をテーマとして扱っていたわけではなく
アルバム・タイトルでもある「Radio-Activity(ラジオ活動)」との
ダブル・ミーニングであったそうですが、
1991年発売の「THE MIX」のバージョンから
「Stop」の掛け声とチェルノブイリ、ハリスバーグ、
セラフィールド、広島という地名も加わり
メッセージがより明確に変わりました。
2005年のライブ盤「Minimum-Maximum」では
冒頭にセラフィールド再処理場への警告のメッセージが
語られるというバージョンも披露されました。
Kraftwerkの今回の物販!
Kraftwerk作品のアートワークはいつもスタイリッシュです
考えてみると、Kraftwerkの楽曲やアルバムは
前述の「Autobahn」以降は概ね一貫して
機械讃歌とそれに反するかのような機械文明批判という
相反するテーマを扱っています。
それを未来から来たかのような、あのステージングで
表現するという実にアイロニカルなものです。
だからこそ実現した今回の来日公演ですが、
今の日本では過ちはまだまだ繰り返される危険性があります。
核の無い世界が実現するまで叫びましょう。
NO NUKES!
高田漣

2012/7/29国会議事堂前
夢のような時間が終わりました。
ソロ・デビューして10年という節目の年に
こんな素敵な場を提供してくださったお客様、
共演者の方々、サプライズのコメントをいただいた方々、
そして何よりスタッフの方々に心よりのお礼と共に
夢の一夜を一曲ごとに振り返ってみたいと思います。
毎度ばかばかしい話を一席。
M1 ごあいさつ~乾杯
今回のライブの構成を考えた最初から、
鎮座くんverの「ごあいさつ」でライブを始めたいと思っていました。
高田渡がリスタートをきった大事な曲であり
自分自身のルーツを忘れないためにも。
続く「カンパイ」は鎮座くんのアルバムでも
最新作のドーピングバンド名義でも演奏された名曲!
ちなみにソロ名義は漢字表記でバンド名義はカタカナ表記です。
今回はバンド・バージョンを下地にアレンジさせていただきました。
鎮座くんのおかげでコンサートが良いスタートを
きらせて貰えました。感謝感謝です。
M2 Instrumental Ⅱ
M3 Aji
伊賀航くん、伊藤大地くんの鉄壁のリズム隊で
(そろそろ、このトリオの名前を何か考えなきゃなぁ~)
ソロデビューの一曲目とソロ三枚目のアルバムからの一曲。
「Instrumental Ⅱ」はジェームス・テイラーの文字通りのインスト曲。
恐ろしくコードが多く難しいのに恐ろしく短いという(笑)。
「Aji」はもともとはインストとして発表されましたが
作曲時にはいくつかのパートには日本語詩が付いていました。
現在は歌ものとして、ここ近年の僕にとってとても重要な楽曲です。
ちなみに今回の衣装を提供してくれた、giacomettiの
ジャケットはこの時点で暑さのために脱ぐはめに(笑)
それ以降、恐ろしいほどの汗をかく僕に
ステージ袖の皆様からは爆笑が起きていたとかw
M4 Blues Dream
ここで最初のゲストの原田郁子ちゃん登場。
郁ちゃんとは本当に長い付き合いですが
今でも一緒にいるとドキドキします♡
ソロ五枚目の一曲目のオリジナル・バージョンでは
サビを経由するごとに一音ずつ転調していくという
まどろっこしい構成だったものを
シンプルにアレンジし直しました。
さらには郁ちゃんのアイデアでサビの部分が
よりゴージャスになって、大谷賢治郎くんの
詩世界がより深みを増した気がしました。
M5 終わりの季節
細野さんの名曲を高野寛兄貴と郁ちゃんのデュオで!
細野さんのトリビュート・アルバムで披露された
この贅沢なデュオですが、何とライブでは初披露だそうです!
次曲との差をはっきり出すために、
敢えてスカスカのシンプルな楽器編成にした事で、
かえって お二人の素敵なハーモニーが活きたと思います。
M6 Only Love Can Break Your Heart
僕のデビュー・アルバムでもカバーした、
ニール・ヤングの名曲は、アン・サリーちゃんとの
出会いのきっかけの曲でもあります。
今回のライブでは、pupaの朋友・堀江博久くんの
イナたいピアノと共にアンちゃんの歌声が
レイドバックしていて、ステージ上でも鳥肌ものでした。
アンちゃんは空気を感じる才能に長けていて、
そして、それを瞬時に表現出来る天賦の才能の持ち主だと
あらためて感動したしだいです。
M7 Smile
チャーリー・チャップリンの名曲を
細野晴臣さんとアンちゃんによる贅沢デュオで。
NHKの番組用に細野さんが録音した際に
アンちゃんの歌声との共演をしていますが、
これもライブでは初披露じゃないかなと思います。
そして、この曲を演奏している時に
ふと去年のレコ大のステージを思い出しました。
お二人の声が重なって何ともゴージャスな雰囲気に
なったと思います。素敵でした。
M8 ろっかばいまいべいびい
細野さんの代表曲のひとつでもあるこの曲は
僕が細野さんの後ろで演奏するようになった、
伝説の狭山ハイドパーク公演の際の一曲目でもあります。
ちなみに、この曲を僕が初めて知ったのは
細野さんのバージョンではなく、故・西岡恭蔵さんのそれであります。
僕が音楽の世界へ足を踏み入れたきっかけでもある、
蔵さんへのオマージュの意味もあり感慨深ったです。
M9 Radio Activity
クラフトワークの邦題「放射能」は、
細野さんバンドの近年の重要なレパートリーです。
今回のライブの構成を考えている時にふと
「このシニカルな演奏にジムさんのノイズが加わったら?」
と夢想したのがきっかけで共演が実現しました。
ここでは多くは語りませんが、2012年現在、
日本で、いや世界で、この曲を演奏する意味は
あまりにも重いと思います。
M10 Therefore I am
M11 Good times
ジムさんのアルバムでも特に大好きな
「Insignificance」からの二曲。
ちなみに「Therefore I am」は、僕のリクエストで
「Good times」はジムさんから。
ずっと憧れていたジムさんは、
今回は細野さんとの共演におけるノイズと
「Therefore I am」でのロック・スピリット溢れる演奏と
「Good times」での素晴らしい歌声と
その魅力を遺憾なく発揮してくれました。
それから「Therefore I am」の長年の謎を
ご本人から聞けて良かった!みんなには内緒ですがw
M12 古靴店
僕が歌に真正面から向き合うきっかけを作ってくれたのは
間違いなく、マエストロ=中島ノブユキさんとの
デュオ活動のおかげだと思っています。
最近はジェーン・バーキンさんの参謀として、
世界で活躍している中島さんは
ジェーンさんの欧州公演が急遽キャンセルになった事により
サプライズで駆けつけてくれました。
僕はついてるなぁ~(笑)!
この曲も近年の僕の重要なレパートリーで
詩は昭和を代表する大詩人・金子光晴の名作です。
太平洋戦争前のパリでの貧乏旅の最中の風景を書いたとされる、
この作品を古いシャンソンのように歌えたら、と思い
作曲しました。いつかきちんと音源化したいなぁ。
M13 穴を掘る~老夫婦
もう一人のサプライズ・ゲストの星野源くんと。
実はこのコンサートが決まった日は、源くんのライブの
リハーサル中でもあり、一番最初に誘ったのが源くんでした。
忙しい撮影中にも関わらず、ライブに来てくれた源くんに感謝っす(涙)
源くんとはそれこそ10年来の仲間ですが、
その源くんのサケロックの録音に初めて参加したのも
この「穴を掘る」のインスト版だったと記憶しています。
今年は源くんとは沢山演奏していますが、
それは源くんが人とのつながりを大事にしてくれている証であり
僕自身が源くんが益々大きくなっていくのが
とっても嬉しい毎日です。
M14 Bao Shen
その源くんや大地くんのサケロックとのユニットの
サケロックオールスターズ名義での曲。
この曲は元々は僕のアルバム「12notes」のために
書かれたものでありましたが、レーベル側から
あまりに僕のキャラクターに合わないとボツにされた経緯の曲です。
ちなみにそれよりも前に表参道の「FAB」で初演された時に
ラッパを吹いていたのが、pupaの朋友・権藤知彦くんでした。
そう言えば、その日は親父が死んだ直後で
急遽「お別れ会」が小金井で開催された日でしたが
僕はスケージュールを優先して、しょっぱなに顔を出しただけで、
すぐに移動して、このライブをした記憶があります。
M15 Circadian Rhythm
ここで再び、ホリー登場。
pupaに書いたこの曲をまったくアレンジを変えて。
郁ちゃんのお店「キチム」で披露したのは今年の初頭。
その時点では、ジェームス・テイラーの「カントリー・ロード」
ないしは細野さんの「ありがとう」のようなアレンジでしたが
今回はさらに一歩進めてフェイセズのようなアレンジに。
そうなると、イアン・マクレガンのようなホリーの
ロッキンな鍵盤はどうしても必要不可欠です。
M16 Glass
ついに、高橋幸宏さんをしかもドラムにお迎えして
pupaに書いた僕の曲を。もちろん高野さんや
ホリー、権ちゃんもお招きして、メンズ pupa with
チョコレート・ブラウニーズ(伊賀くん&大地くん、勝手に命名w)
pupaのリハ中に、よく遊びで幸宏さんとロックの名曲を
演奏しているのですが、そんなロックな幸宏さんのドラムを
皆様にお聞かせしたくってロックにリアレンジしました。
イントロはストーンズの大好きな「ホット・スタッフ」風に。
インターはツェッペリン&ジミ・ヘン風に、と
盛り沢山なアレンジでしたが大地くんと幸宏さんの
強力なツイン・ドラムに引っ張られて
最高の演奏が繰り広げられたかと思います。
惜しむらくは元々の歌のメロのままだったので
オケとの体温差がありすぎたかなぁ~と
思っていたら、幸宏さんから打ち上げ時に
その事を指摘され、さらに素晴らしいアイデアもいただきました!
これから、さらにこの路線を進化させられそうです。
M17 Let's, Let's Dance
もともとは朋友の福岡史朗くんのレーベルの
コンピ・アルバムのために書いたのですが、
幸宏さんがとてもそのピースを気に入って下さって、
共作したpupaにとっても僕にとっても、とても大事な曲です。
いままでのステージを支えてくれた、
チョコ・ブラ(勝手に省略w)も無しの、本当に、
メンズ pupaだけのアコースティックな、本邦初の試みですが、
これはかねてからそのサウンド上、
機動性に欠ける従来のpupaとは別に
アコースティック編成で演奏したいという、
メンバー全員のアイデアがようやく実現しました。
これからもっと練習して色んな場所にふらっと行きたいなぁ~。
これにて本編終了。
EN1 Cue
こんなことがステージで出来るなんて夢のようでした。
ベースに細野さん、ドラムに幸宏さん、
そして僕のエレキだけという3ピースでの、YMOの名曲!
終演後、出演者の皆様から「なんで自分を呼ばない!」と
非難の嵐が(爆笑)!今回ばかりは役得ということでw
EN2 Little Hawaii~Goodnight Irene
よく考えると今回、純粋に弾き語ったのはこの曲だけだ!
僕が初めてソロ名義で本格的に歌ものとして書いた曲。
いつも宴の最後にはこの曲を。
「嵐の後には凪がくる 宴会の後には勘定がくる」
我ながら下らない詩です。
そして最後には親父も大好きだった曲のリフレインを。
こうして夢のような一夜は終わりました。
今回、参加していただいた共演者の方々、
サプライズでビデオ・コメントを届けてくれた
くるりのみんな、原田知世さん、坂本龍一さん、
こんな僕を観に来てくれた多くのお客様、
そして何よりもこの大変なステージを
支えてくれた多くのスタッフの皆様、
本当にありがとうございました。
本当に本当に素敵な時間をありがとうございました。
高田漣
ステージからの眺め
セットリスト!
有り難くも満員御礼!
朋友にして事務所社長のK澤氏と
開場時の美しい映像
ライブを終えて一息?の数日後のオフショット
